日常もずいぶんと戻ってきた感がある。
あんなにコワかった原発も状況は全然良くなってないはずなのに、恥ずかしいかな、慣れて来てしまっている自分がいる。人のウワサも75日とはよく言ったもんだ。そうだな、5月終わりには、慣れちまった。
僕たちの日常ってのは外国人からすればそうとう異常なモノなのだろうけど。

これから日本はどうなってしまうんだろう。総理大臣が変わるって言うけど、新しい総理大臣は原発をどういうふうに考えているんだろう?
暫定基準値、NT、そこらへんがまず怪しい。ドイツの政府の発表によれば、食品1キログラムあたりの許容ベクレルは、コドモで4ベクレル、大人で8ベクレル。茨城県、鉾田の米では50ベクレルが検出、しかし日本の暫定基準値では500ベクレルなので、全然問題ない、との記事が茨城新聞に掲載されていた。知事も太鼓判を押していた。レントゲンに比べれば、、、、という、あの論調がまた出ていた。

いいかげんにして欲しい。


記事によれば、福島第一原子力発電所のすくなくとも1号機は津波が到達する前にすでに地震で壊れていてメルトダウンが始まっていた、とのことだが、そしたら随分と問題じゃないだろうか。
この記事を読んだ時、事故の際の政府の初動の悪さ(早めに廃炉決定を決める決断力があれば、被害はもっと最小限に食い止められた??)を突っ込まれないようにするためか?と思ったが、実際に津波でなく地震だけであそこまでむちゃくちゃになってしまうと言うならば、日本各地にある原発も同様に危ないはずだ。
それなのに、原発(電力)がないと産業がどうのこうの、とかいう話はまだまだあちらこちらで聞こえる話で、そう言う人は、今現在の話で、本当はすでに日本の産業がグチャグチャになってしまっている事をまだわかってないようだ。


僕たちが普通に食べる毎日のものが、外国人からすれば異常な数値をたたき出してる食品で、本来食べちゃいけないレベルの食品で、それを「がんばろう日本」というフレーズにすり替えて流通させてしまっている。
お魚も野菜も牛も、どうせ豚も鶏も、汚染されてしまっていて、第一次産業って言うんですか、そこらへんの産業は本来ズタズタなはずじゃないか。がんばろう日本、の旗印のもといろんな問題を無視して流通させてしまって、見かけの上では産業が以前と変わらず回っているが、ほんとはこれはナンセンスなんだ。

それなのに、原発が無かったら産業がどうこう言う人がいるのが残念だ。原発は効率的だという人がまだいて残念だ。

どうせがんばるなら、、農地や公園を除染するようにがんばりたいし、福島で帰れなくなってしまった地域の人をなんとかコミュニティーごと移住させる努力をしたいし、原発以外の発電をみんなで知恵をしぼって考えたいし、放射能に対する正しい知識をみんなで勉強したい。

実験台になってしまうのは、逃げられないからしょうがない、が、せっかくの僕たちの命、どうせなら正しい方向に燃やしたい。
外国人から見て、放射能入りの食品をがんばって(?)食べる日本人の姿はストレンジ過ぎるのではないだろうか。このストレンジさは、ハラキリ、カミカゼに通じるものを感じる。日本人が編み出した武士道というのは「死ぬ事とみつけたり」なのだろうか?
徳川光圀、水戸黄門は、死ぬべき時に死ぬのが武士だと言った、では今はどうなのだろうか、死ぬべき時なのだろうか?
僕は武士は恥を知ればいいのだと思う。つまりカッコイイとは何かを知ればいいのだと思う。視線を感じるかどうか。
人の目ばかり気にするのは日本人の悪いとこのようだが良いとこでもある。どうせそんなに気にするなら、世界の人の目ってのを気にすれば良い。そしたら昨今の日本の変な対応なんて恥ずかしくってできっこ無い。

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# by unkeeen | 2011-08-24 04:50

ハレというのは祝祭って意味合いらしくて、ケってのは日常なんだと言う。
日常がおかしくなる、というのがケガレ、ケが汚れるって意味らしい。
けがれちまった悲しみに
今日も小雪がふりかかる

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# by unkeeen | 2011-04-26 02:27

僕は今京都はウルトラビデ邸にきています。

前回のブログを書いた時はもう遺書を書いてる気持ちでした。
15日は本当はウルトラビデプロデュースのisolation3というカナダ人とドイツ人のバンドが水戸にくるはずだったが、12日に浜松のライブが終わった後、巨大な地震と原発におそれおののいて、京都に帰ってしまった。で、ビデさんから電話があって、「いつでも京都に逃げてきてくれ」みたいな話をされたが、ガソリンも無いので逃げられないし、僕もガソリンが入らないのは、パニックをおそれた政府がわざとガソリンを止めてるんじゃないか!?と勘ぐってしまい、その話をするとまた電話がかかってきて、「マスコミや政府はうそばっかりなんでー、いつでも京都にきてください」と何度も電話がかかってきた。で頼りにしてます、と返事したが実際いけるはずも無い、、、と思ってたのだが、、、、

15日、つまり遺書を書いた後、お兄ちゃんが、会社を明日は休みにして遠くに逃げると聞いたので、でた!と思い、実際僕のスタジオもガソリンも無けりゃ、客が来るはずないし、どっちみち開店休業だから、京都行きたい京都に逃げたいと思ってたので、千載一遇のチャンス、とガソリンが入っている母ちゃんの車に荷物を詰めて、急に水戸を出発した。母ちゃんも一緒に行こう、と言ったが、こういうのは順番だから、と諭してくれた。

僕は東京もなんだかガソリンが入らずえらい騒ぎになっている、と聞いたので、笠間から50号で群馬のほうに行って、新潟まで出て北陸を通るルートで出発した。
5時に出発し、ガソリンがみんな無いので道はすごく空いていた。たまに渋滞があるとそれは全部ガソリンスタンドに並ぶ行列だった。そういう状態が栃木か群馬まで続いた。コンビニに商品が無い状態は下館くらいまでだった。

ずっとゆっくり走り新潟に着いたのはもう12時を過ぎていて宿をとることにして高速を降りると、そこは柏崎だった。あとで考えたらここにも原発があるじゃないか!?オーノー。
そこのホテルにはいわきナンバーの車だらけで急遽みんな逃げてきた様子だった。かれらの様子は、本当に追われてきた、といった様相で、アポカリプトという映画で、村を終われた人間たちの表情に似ている気がした。そうすると、あの映画の中では死を恐れたものは、魂が恐怖にとらわれていて、人間の尊厳をなくしてしまっていた。死を目の前にしても動じないあの酋長のようになるべきだったのか、、、とか思った。
北陸の冬はどんより曇っていて、天気も変わりやすく、まさに逃避行といった様相だった。

次の日は、富山県は砺波市に向かった。
ここは僕が人生の中で一番感動した、『大豆鼓ファーム』の「かかあ列伝」という公演を見に行った場所で、渋さ知らズのメンバーの演奏にあわせ、田んぼの中にはげ頭の舞踏たちが、ひしめき合っていた。あの公演を見たことで僕はおおげさに言えば表現活動を根本から変えさせられたわけで、、
着いたときお呼びがかかったのかな、と思わされた。
10年ほど前に行った砺波市は、本当にいなか!って感じだったが、今回行くとユニクロやらなにやら出来ていて垢抜けてしまっていて驚いたが、もしかすると、このユニクロで働く店員も、小さいころ、かかあ列伝を見てるんじゃないか?とおもうとやっぱり親近感が沸いた。

砺波のホテルで一泊、金沢まで足を伸ばして、行ってみたかった21世紀博物館に行ってみた。おもしろい美術館だったがそのときの展示作品は、実にまあまあだった。この作品ではっ!と思う人が一人だっているのかと怪しんだ。以前水戸の芸術館に巨大ばったが来て面白かったがその人の金色の巨大な玉のオブジェはおもしろかったし、かっこよかった。うん、僕はああいうのが好きだな。

また砺波のホテルで一泊。次の日は晴れたので、僕の大学の先輩で亡くなってしまった人が富山出身だったので、墓参りをしに行った。
実はこの先輩の墓参りはアタロウが生まれた次の日にも行っていたのであった。その先輩の実家に行きお父さんお母さんにアタロウを紹介して、花を買いに行きりんごも買って、墓に行った。ああ、もう死んじゃったんだなー、僕は生きてますよ、子供も大きくなっちゃいましたよ、と報告した。先輩にも子供がいてコタロウっていうんだよな。一緒に茨城の海に行きましょうって話もしてたのにな。

立山の山はすばらしい。お父さんはかっこよくて、見える山を全部紹介してくれて、全部登ったことがある、と聞いてまじでかっこいいな、と思った。お母さんも優しくて、なべを作ってくれて、お米もすごいおいしかった。富山の水はめちゃうまい。温泉もなんかすごい良い。
実家は富山のます寿司屋さんで、お土産までもらって、富山を後にした。
その日のうちに、京都に入ろうと思ったが、意外と遅くなってしまったのと、原発が6個もあるっていう福井県若狭湾も通りたくないなーと思い、琵琶湖沿いの長浜ってとこにあるホテルで一泊することにした。
水戸の天狗党は水戸を出発、冬の中仙道を通り、京都を目指したが、福井で捕まって全員処刑されたんだよなーと思い、残念だと思ったし、そういえば徳川慶喜は、京都で戦っているとき、旗色悪いと思うや否や、大坂から江戸に一人で逃げたんだよなー、と思い、僕もそんな感じだなーと思った。


次の日、とうとう京都に入る。
ビデさんに連絡を入れて、京都は鞍馬口の近くにあるウルトラビデ低に着いた。
まず良かったのは、あたろうがすごい気に入ってくれたことだった。ホテルでもおうちに帰ろうよー、と言っていたが、2,3日もするとビデさんちに帰ろうよーに変わった。やっぱり家っていいんだな。ビデさんのお母さんもすっごいいい感じで、アタロウのことを「ボン」と呼ぶ。

ビデさん家にはisolation3のメンバーのギターのケンさんがいて、彼女になったばかりのパンクでビザールな高知のあゆみさんもいた。高知の話で、ヨサコイの話になり、本場のヨサコイは、あの何度も聞いたヨサコイじゃなくて、オケは地元の人が勝手にバンド演奏するらしい。つまりどんな音楽がきても踊ってしまうらしく、けっこうそれって文化として定着してるんだなーと思い、かっけーなーと思い実際どんな音で踊っているのか、めちゃ知りたくなった。阿波踊りもそうだし、四国ってダンスカルチャーだな、と思い、広末涼子なんかは、この祭りで命をかけておどっているらしく、ぜひ四国の踊りを見にいきたいなーと思った。

次の日は大阪でライブだってんで、大学の同級生のいちくんが京都で樹木医をやっているので、一緒に遊びにいった。爆音で良いライブだった。ここぞとばかりに踊った。


京都に来てまず最初に京都駅近くの東寺に行った。ここは空海の寺で、運慶快慶の仏像があるのだが、言えば立体曼荼羅、もうばしっと3DSしてました。3DSと言えば任天堂もあったなー。一番好きな会社です。東寺は新婚旅行のときも来たけど、あたろうにも見せたかったし、来てみてまたすごくてびびった。
比叡山にも昇った。ここも新婚旅行のとき来たけど、なんとなくふさわしい気がした。
ケーブルカーとロープウェイですっごい上にのぼる。ここが親鸞や日蓮を輩出した総本山か、と感慨にふけっていると、妻タムエが「前回ここでけんかしたよね」と言ってきたので、ぜんぜん覚えてないなーと言ったのに、ロープウェイから降りるとまた「けんかしたのおぼえてないの?」と言ってきたので「なんでそんなに嫌な事思い出させてえんだよ」とプンプンしてしまった。
一応フォローすると、京都に入ってから妻タムエと新婚旅行の記憶勝負みたいなことをしてたのだが、ぜんぜんタムエが覚えてないので、おぼえてないの~!?と言って馬鹿にしていたから、その仕返しだったのだろう。
しかし、プンプンして思い出した。なんでけんかしたのはよく覚えてないけど、前回もプンプンして同じ道を通りながら、昔は女が入れなかったと言う比叡山延暦寺に、新婚旅行に来るとは何事だ!?と、歴代の坊主どもみられてる気がして、今度来るときは一人で来ます、とか思った気がする。今回はすっかり忘れて子供まで連れていったが、まあ出家って、全部捨ててくんだもんね。断捨離。
出家しないにしてもケーブルカーとか、旅行とかまあ簡単すぎるもんな。
とにかく、今度高野山とか昇る時は、一人で登ることにしよう。

4日目くらいにマコト夫妻が来た。ほんとは3月20日に結婚式だったので、今回は新婚旅行みたいな感じだな。おめでとう!
銀閣寺、南禅寺に行った。南禅寺の巨大な門がやばかった。上にのぼれるのだが、昇ると、昔修行していた小坊主どものストーリーが頭をよぎった。
伊勢参りに行った。やっぱりめちゃいいとこだ。日本の心。
志摩半島のホテルに泊り、海のすぐ近くが山、崖だったりすっごい複雑に入り江がある地域で景勝は見事だった。漁船がたくさんある場所で津波を連想させたけど。伊勢の焼き鳥、めちゃうまい。うどんもうまい。
奈良に行き法隆寺に行った。超能力者であると言われる聖徳太子。宇宙と交信する場所と言われる夢殿にも行った。八角形の建物のてっぺんにはマジでアンテナとしか言いようの無いものがあって、ぶるぶるかっこいい。
東大寺にも行った。鹿がいて。東大寺は中学校のとき見て感動したけど、今回もやばかった。タージマハル級に感動する。大仏、ビルシャナももちろんすごいけど、建物がやばい。あそこで演奏したボブディランもソウトウやばい
興福寺も行きたかったが、時間が無くていけなかった。なんでも国宝の17%が興福寺にあると言う。阿修羅ファンクラブというのを募集していて、すっげーポップだなーと思ったら、みうらじゅんがファンクラブ会長だった。

京都ではビデさんのおかげでおいしいものをたくさん食べた。サバがあんなに旨いものだとは知らなかった。上鴨神社の近くにある、今井食堂という人気のサバの煮込み定食。やばい。やばい。
ビデさんが「MSD(味の素)のせいかわからんけど、めっちゃとぶねん。昼しかやってない(11時~14時半)けど食べたら一日ほかす(すてる)って感じになるねん。」と言ってたのでまさか、と思っていたが、味噌汁、とろけるサバ煮、めし、うめーうめーと食べ終わって家に帰ったら、大人5人と子供1人、大げさじゃなく完璧にぶったおれて寝てしまった。熟睡。ぜんぜん起きれない。たしかに一日ぶっつぶれる。行列になっててサラリーマンも来てたけど、あれじゃ仕事にならないだろー?
今井食堂、すげー。ばばーもこえー。


鍋で、ごま油と塩と唐辛子のたれにつけながら食べる鍋もおいしい。これは水戸でもやりたいなー。はまーる。

もうねむーる。

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# by unkeeen | 2011-04-01 02:43

ああ、とんでもない事になってしまった。
もちろん地震や津波もひどかったけど福島原発の惨事はどうしようもない。
悪夢をみているようだ。
二日前から怪しいと思って、ガソリン入れて家族と一緒に遠くに行こうと思ったけど
まだニュースでやってないし安全だし言ってるし、ほとんど僕の被害妄想みたいな感じで
家族を説得できるはずも無く。あんただけ言っても良いよ、と言われて行けるもんじゃない。
たしかに家族には家業があるから、明日屋根をなおしに行かない、水道管をなおしに行かないと行けない、そして働いてくれてる人たちに炊き出しをしなくてはいけない。
やることはたくさんある。しかしいるのも危険だ。
危険と知りつつ、気丈に行動する。それしかない。

僕は日本が原爆を二発も落とされたのに、自分からまた原子力を使おうとしたことが、本当に日本民族として間違っていたと思う。とんでもないミスジャッジをしてしまった、と思っている。
もし、2、3日中にメルトダウンが最悪の方向に向かわず、持ち直したら、命を賭けて原発再度始動に反対して行きたい。もし万一のことがあっても、人柱として世界の人たちに、人間が原子力を扱えると思い込む事の間違いを伝えて行く力になれればと思う。それくらいしかできない。

ほんとに世界の平和を祈る       うんけん

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# by unkeeen | 2011-03-15 13:17

最近、渋さ知らズオーケストラの日比谷野音のライブにようちゃんと行った。
お客さんにチケットを安くゆずってもらえる話があったのだ。

4時開始、最初は懐かしのいつもの渋さの演奏でサルヘンとか玄界灘とかいて良かったし、その後の舞踏も良くて、音楽もラジオのチューニングしている時のピーって音と女性コーラス4人だけでやってるやつが実験的でかなりよかった。
しかし、その後、AKB48のマネなんだかなんなんだかわからない、HKB28とかいうキャピキャピしたおんながゾロゾロ出てきたあたりから雲行きが怪しくなって来た。
なんなんだ?これは?ギャグなのか、なんなのか。
演奏しないでオケ流してるし。

まあまあまあ、と思って次に出てきたのは御大「三上寛」
これぁキツい。40分ほど人間ノイズを浴びせられた。
演奏はドラム2台がシャーシャーとシンバルを鳴らしたりサックスも参加したり、後で考えると
この演奏は良かった部類に入るのだが。

この後出てきた、R&Bシンガーっぽいキーコさんという歌い手が出てきた時も、全然盛り上がらなくて、かわいそうになった。その後のラッパーもダメで、またその後のラッパーは多少持ち直したが、singo02というラッパーが出てきたときも、やっぱりダメだった。

大体、たくさんのゲストが出てくるのだが、だれも紹介しないから、今歌っているシンガーorラッパーが誰なのかもよくわからないのだ。だから携帯のネットで調べて、多分今歌っているのがキーコという人だな、と考えながらみなくてはイケナイ。
すると携帯のホームページに今日のメインゲスト、ベンダビリリというアフリカの車椅子に乗って演奏するグループも予定が合わず来れないと書いてある。なんにも言ってなかったぞ!
なんて適当なんだ!!!

これはカオスを表現してるのか、ミスマッチを表現しているのか、と前向きに捉えようとしたが、僕にはやっぱりなんとも手抜きでやっているようにしか思えなかった。
なのにお客さん達は、曲が終わると「イエーイイ!」と狂気の歓声を上げるので、それがまた不似合いな気がした。
僕たちはいたたまれなくなってしまい、最後までみられず、途中退場して皇居の周りを散歩することにした。巨大な桜田門をくぐった。


多分、出演していたゲストも、それ自体で観ればきっとカッコイイのだろうが、一緒にやることによって、お互いに良さを消しているのではないのだろうか。
singo02なんて名前聞いた事あって、そうとうカッッコいいと聞いてたから、全然良くなくて残念だった。
ゲスト集めて、テキトウにやって良かったら渋さ知らず、悪くてもお客は騒ぐ。

帰りの車で、あそこがヒドいとかそんな話しを延々した。
結論、真剣にやっていないってのが一番ヒドいと思う。
アングラ総合エンターテインメントみたいな売り込みだったかもだが、そもそもアングラとはなんなのか?と考えた。
僕の場合は、売れなくても真剣にやっている、そういう気迫みたいなモノにやられるのだ。
下手でもかっこ悪くても、心を打たれたりするものがある。
長い時間をかけて、人生かけて、丹精込めて作品を作っていく。
その姿に「お前も好きなんだな、このバカ野郎!(空手バカ一代でのバカ)涙が出て来ちまったじゃネエか」てな具合で、泣くのです。

昔、富山県の田んぼの中に「大豆鼓ファーム」という舞踏団体の「かかあ列伝」という公演を見に行き、バックは初めての渋さ知らズの演奏で、今でもあの綺麗な旋律を覚えている、僕はかつて無い感動で、綺麗だっためちゃめちゃ綺麗だったと泣きじゃくったのだった。僕はあの時刻印を付けられた気さえした。あの綺麗な旋律は僕を誘い、いざなう旋律だった。

そんな特別な思い入れがある、渋さ知らズの今の姿をみて、僕はウィルスとキノコの話を思い出した。
キノコというのは、僕たちの目に見えるが、あれはキノコ菌が死んだ姿なのだと言う。
キノコ菌が生きている間は、人の目には見えない。
死ぬことによって形ができて、やっと人間でも見られるようになる。

昔の田んぼの中で演奏していた渋さがウィルスだったとして、今の渋さは目に見えるキノコになってしまったんだなと思った。目に見えて形もしっかりして、人は喜ぶかもだけど、それはもう死骸のようなもので、抜け殻のようなもので、それを見てみんな喜んでいるけど、そこにはホンモノのウィルスの働きなんてもうないのだ。

ホンモノのウィルスの目に見えないウニョウニョした働きを信じるべきだ。カタチになってしまったキノコなんぞをおっかけても何も大切な事は分からない。と思った。

評価固まってしまったものよりも、僕はそのウィルスを追っかけていきたいし、自分も死なずウィルスで居続けたい、と思うのだった。キープ オン ウィルス。

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# by unkeeen | 2010-09-30 04:48